このブログの運営者もつって何者?
このブログを運営している僕は、現在、同志社大学に通う22歳です。
これまで僕は、ありとあらゆる困難に直面してきました。
- いじめ
- 大学受験失敗
- うつ病
- 宅浪
- ブラック企業で働いてメンタルが病む
こんな、ほとんどの人が1生に1度経験するかしないかのことをめちゃめちゃ経験してきたので、時系列に沿って僕の人生を語っていこうと思います。
小学校時代、いじめにあう
小学校時代の思い出としてはいじめですね。
当時、両親が両方とも夜遅くまで仕事をしていたので学校が終わったら近くの学童に行っていました。
そこで出会った上級生にいじめを受けました。
その上級生は、いつも4、5人で行動していて、僕もそのうちの一人でした。
僕が小学4年の時に学童で4年生以上の男の子がその5人しかいなかったので、その人たちとつるむしかないっていう状況でした。
ですが、このうちの一人の上級生は、毎日誰か一人をはぶらせていじめるんですよね。
そのターゲットに選ばれていたのが僕ですね。
いじめの内容は、基本的にはその上級生が他の子達に命令して僕に暴力や暴言を浴びせるという内容でした。
でも、このいじめの主犯格の上級生のすごいところは、大人から見たら真面目でいい子なところなんですよね。
絶対、大人が見ている前で暴力や暴言を浴びせたりはしないし、成績優秀な真面目な人なんですよね。
そんないじめを経験した僕ですが、その上級生が卒業した後はすごく平和な日々を送ることができました。
昔から外で遊ぶのは好きだったので、今までいじめが怖くて楽しくなかったドッジボールや鬼ごっこもすごく楽しくて幸せな日々でした。
他人を見下したいた中学時代
中学時代の僕はクラスの友達もいたんですが、ホントにうわべだけの関係で気の合う友達がまったくいませんでした。
みんなといるときは、仲よさそうに振る舞うんですけどど田舎の不良の多い中学校だったので、周りの同級生の民度が低すぎて心から楽しいと思えないんですよね。
ですから、学校が終わったら速攻家に帰って速攻塾に行きました。
そこでの塾の先生との会話だけが中学時代の唯一の楽しみでした。
普通の塾って、何時から何時まで授業があって授業が終わったら帰るっていう制度だと思うのですが僕が通っていた塾は個人経営の塾でしたから、いつ来ても良いしいつ帰っても良いよっていう塾でした。
授業も本格的にするのではなくて、先生と喋りながら進めていくような形式でした。
ですから、勉強をしにいくんではなくて、先生と喋りにいくための塾みたいな感じで毎日通っていました。
そんな中、僕は中学3年になってその塾の先生に相談したんですね。
そう話しました。
そしたら、その先生は進学校に行けと言いました。
これまで塾以外で勉強なんてほとんどしたことのなくて、成績も平均と同じかちょっとしたくらいの成績で、特段悪くもないけど良くもない成績でした。
ですから、進学校に行くなんて考えたこともなかったんです。
でも、その先生は進学校の魅力をすごく教えてくれました。
こんなど田舎の中学校で生活していたら、不良もいっぱいいるし、周りにはバカなやつばかりかもしれない。
でも、都会の進学校に行きさえすれば、君と同じような価値観を持った人がいっぱいいるよ。
そう教えてくれました。
- それを聞いて、今の現状を打破したい。
- こんな民度の低い人たちと一緒にいたくない。
そう思っていた僕は、進学校に行くことを決意しました。
しかし、学内平均点にも達していない。通知表もオール3の僕が進学校に中3の夏から勉強して進学校に行かなければいけませんでした。
そこで、僕は中学での成績が合否に関係しない、私立高校を受験することを決めました。
僕が受験を決めた私立高校の偏差値は66です。
その高校に入るために、中3の夏、全ての時間を勉強に費やしました。
ていうか、塾に隔離されていたので勉強せざるを得ない環境を作らされました。
他の高校の受験は考えていなかったので、その高校に出そうな問題だけを抽出して、対策を立てて勉強しました。
高校受験なのに過去問は15年分解きました。
中3の時はホントに学校以外の時間全てを塾に捧げたと言っても過言ではないくらい勉強に必死になりました。
多分、将来のために勉強しなさい。とか言われてもここまで勉強はできなかったと思います。
華々しい高校生活を送るため。
価値観の合う友人と出会うためだからこそ勉強できました。
そして、合格発表の日
見事合格
しかも合格最低点をゆうゆう超えての合格でした。
今まで、自分が頑張って上手くいったことなんて一度もなかったので、本当に合格したのか何度も確認したことを覚えています。
その時の嬉しさは言葉では言い表せないほどでした。
超しあわせだった高校時代
そんな最悪な中学時代を送った僕は、晴れて合格した高校に進学しました。
そこでの学生生活は中学とは比べものにならないほどでした。
こんなにも優しくて、穏やかで僕が求めていた環境がここにあったのかというほど幸せな空間でした。
そんな高校生活のほとんどの時間を部活と勉強に捧げました。
僕の学校は課題の量が半端なくて、毎日必死で勉強してやっと終わるくらいの課題量でした。
でも、勉強自体は嫌いじゃなかったのでそんな学生生活が苦ではなかったですね。
また、テニス部にも所属していて、結構真剣にやっている人が多い部活だったので、毎日夜の8時くらいまで練習がありました。
ですから、高校時代は部活と勉強で精一杯の学生生活でした。
今思えば、もっと恋愛とかしておけばよかったなと思います。
大学受験失敗からうつになる。
この幸せな高校生活の後に、僕の人生最大の出来事のうつ病になってしまいます。
僕は、高校の時に、大学受験に失敗しました。
僕が現役の時に受けた大学は大阪大学。
クラスで4人大阪大学を受けたのですが、僕だけ落ちました。
その時は、受かった3人の友達が僕のことをすごいいじってくれて、受験に落ちたこともすべて笑い話にして、滑り止めだった同志社に進学。
でも、僕はどうしても阪大に行きたかったので、同志社を休学して浪人を決意します。
しかし、お金がなかったので、実家での自宅浪人。
その期間にうつ病になりました。
そこで気づいたのは人間の一番のストレスは孤独だということです。
- 朝から晩まで誰とも会わない。
- 喋るのは母親とのおはようだけ
というなんとも寂しい生活を続けていて、頭がおかしくなっちゃったんですよね。
ホントに受験どころではなくなって、精神が病んでいきました。
うつ病の時は、
- 自分ってなんで生きてるんだろう。
- どうやったら楽に死ねるかな。
とかそんなことばかり考えていました。
病院に行くのも怖くなってしまって、ネットでできるうつ病診断をしたら、あなたは重度のうつ病ですと診断されました。
そんな精神ズタボロの中僕は一つの本に人生を救われるんです。
それは、『嫌われる勇気』という本です。
これまで僕は、他者の目線、社会の目線を過剰なほどに気にして生きていました。
しかし嫌われる勇気を読んでから
- あっ、自分の好きに生きて良いんだ。
- 他人と比べることに意味はないんだ
と気づき、受験なんてどうでも良いや、他人なんてどうでも良いと思えるようになって、自分の好きな人とだけ関わるようになったし、自分の好きなことだけするようになりました。
今では、うつ病なんて嘘のように回復しています。
結果的に、大阪大学には行けずに同志社で学生生活を送っていますが今はそれで良かったと思っています。
ブラック企業で精神が病む
晴れて大学生活をスタートした僕は某物流会社でアルバイトを始めます。
そこで、社会とのギャップを感じました。
- もともとコミュニケーションが苦手
- 一人で行動するのが好きな僕にとって、労働はあまりにも困難でした。
同じ職場の人と馴染むこともできないし、ミスばかりしてしまう毎日でした。
でも、人間慣れると意外となんとかなるもので、日が経つうちに職場に慣れてきてミスもしなくなりました。
しかし、そんな時に、上司が変わりました。
今までの上司は温厚で優しい人だったのですが、変わった上司はミスは許さない人でした。
しかも、業務の押し付け、パワハラ、残業代の未払いと最悪な職場に変わってしまいました。
そこで1年くらい働いた時に自分のメンタルがいつの間にかやられちゃっていました。
いつものように出勤しようとした時、電車に乗れなくなっていました。
今日も上司に怒られるんじゃないか。
今日もミスをするんじゃないかという恐怖心で足が動かなくなっちゃってました。
そこで初めて、自分がここまで追い込まれていたんだと気づいて、3年間のアルバイト生活に終止符を打ちました。
労働に絶望した僕はブログに精を出す。
そんなこんなで自分はこんな上司のいる会社は嫌だ。
こんな会社で働いたら自分の性格まで変わってしまうと思い、どうにかして嫌な労働から抜け出す方法を考えました。
そして、ブログで稼ごうと思い立ちました。
ブログで月に数万でも稼ぐことができたら、この先就職しても、嫌な会社ならやめることができる。
そういった思いでブログを始めました。
理由はすごく不純ですが、こういった反骨心のおかげで今はブログに全力を尽くせています。
今では月間アクセスが5桁を達成して、ちょくちょくアフィリエイト収入を得られています。
これも、皆さんがギャツブロを見てくれているおかげです。
これからも皆さんのそばで少しだけ寄り添えるようなブログを作れるように精進していきますのでよろしくお願いします。